埼玉県 戸田市 内科・小児科・循環器科 グリーンフォレスト戸田 戸田の杜クリニック

院長紹介

院長 大内浩

インタビュー

ドクターを目指すきっかけ~ドクターになってから印象に残ったエピソードを掲載しています。
先生の“人となり”がわかるのではないでしょうか。

質問1:
ドクターを目指した理由またはきっかけとなったエピソードなどは、ありましたか?

  • O: えーエピソードというより、中学生の時に、炬燵に入っていた時、突然、こう降りてきたといいますか、 閃いたんです。医者になる、医者になろうと。
  • A: はー、天啓というやつですね。
  • O: それからは、何の迷いも無く、家族にも宣言して、医者になるべく勉強をしましたね。
  • A: なるほど、まー僕はアーティストになる、というのとは違って、家族も反対しなかったでしょうね。
  • O: はい、でも、私立は、お金が無いから、受験すら禁止!とは言われましたね。交通費ももったいないと。
  • A: シビアですね。

質問2:
それでは、実際医師になってから、何か印象に残るエピソードがあれば教えて下さい。

  • O: そうですね。 医者になってから3年目、国立循環器センターに勤務していたころに、普通、心臓には4つの部屋(左心室・左心房・右心室・右心房) がありますが、 その子は、右側の2つの部屋しか、無かったのです。

    それを通常の4部屋があるのと同じような血流にする大手術でした。
    その頃は、まだ日本での症例(手術の数など、実績)が、少なく、術後管理が悪く、生き残れる確率が非常に少ない時代でした。

    手術そのものは上の偉い先生が行ったのですが、私は、まだレジデント(研修医)でしたが、その術後管理を任されたのです。

    2週間もの間、夜間泊まり込みで、患者さんのベッドの隣で、過ごしました。
    この間、2週間の仮眠時間は、トータル20時間でしたから、同僚からは、お前が死ぬとまで言われました。

    そうした甲斐があって、その子は、助かりました。私にとって、医師になって初めて一人の命を救った体験でした。

    このことがあってから、あー医者というのは、鶴の恩返しの、鶴のように自らの命を削って、人の命を紡いでいく職業なのだな、と考えるようになりました。
  • A: そのようなことが、あったのですね。感動しました。

質問3:
それでは、患者さんやご家族から、感謝されて印象に残っているエピソードがあれば教えて下さい。

  • O: そうですね。
    5月の連休中にですね、急性大動脈解離と他院で診断を受けた患者さんが、手術をされる先生がいない、ということで、 10件以上断られていたのですね。

    私は、休みだったので、子供と一緒に遊んでいた時に、病院から連絡を受けまして、子供に病院に行ってもいい?

    と聞きましたら、子供も、早く行ってあげて。

    と言ってくれまして。急行したのですが、なんとか、命を救うことが出来まして、今でもその患者さんからは感謝されています。
  • A: 普段忙しくて、一緒に遊んであげられる時間が無いのに、よく子供さんが了解してくれましたね。それで余計に印象的なのでしょうね。

質問4:
他にも印象に残るエピソードがあれば教えて下さい。

  • O: はい。手術は、いつも成功するとは限りません。その時も、手術しても生存率3割という難しいものでしたが、 全力を尽くしたのですが、力及ばず亡くなられてしましました。
    ところが、ご家族から、先生、ありがとうございました。
    もし、私が同じ病気になったら、先生にお願いします。と言われましてね。
  • A: あーそれは、嬉しいですね。お医者さん冥利につきる、という話ですね。

質問5:
クリニックでは小児科をされますが、どちらで経験されたのですか?

  • O: アメリカから帰ってきてから、所沢にある彩のクリニックで小児科を含め、頭痛外来、禁煙外来を約10年間行ってきました

    神奈川県立子ども医療センターで3年間、小児心臓外科を経験したことと、たくさんの患者さんを診てきたので、自信があります。
  • A: そうなんですね。普通、手術中心の先生ですと、内科・循環器内科だけです。
    小児科も併設される先生は希少です。

インタビュー後のインタビュアーの感想・談話

  • 大内先生は、淡々とお話される方ですが、その口調のために余計に感動して、危うく涙をこぼしそうになってしましました。

    このような熱意ある先生が、近くに開業されることを望まれている患者さんは、多いと思います。
    今後も、お身体に気をつけてご活躍ください。

    最近では、人間には寿命があるということを忘れている、あえて認めない、という方が増えてきたように感じます。

    核家族が当たり前になったことで、子供時代に、祖父母や親族の死に目に会う、という体験が減っていることもあると思いますが。

    御釈迦様の話の中に、こんな話があります。
    道端で子供を亡くした母親が、その事実を認められず、周りにいる人に、泣き叫んで、生き返らせて、とやるのですが、 御釈迦様が、その母親に、私が生き返らせましょう、と言われるのですね。

    ただし、死人を出していない家の人を探して連れてこられれば、という条件を付けられたのです。

    母親は、それこそ、死に物狂いで、1軒1軒周っているうちに、気づくわけですね。
    死人を出していない家は無いということに。

    そのことに気づいて、子供の死を受けとめることができた、という逸話です。

    御釈迦さんの間接話法ですが、さすがですね。

    皆さんの死生観は、どのようなものでしょうか?

    最後まで、お読みいただいてありがとうございます。